昭和20年、この地区も戦争による空襲を受けた
平空襲(たいらくうしゅう)は東京大空襲帰りのB−29から焼夷弾が落とされたもので
死者12名、家屋500戸以上が炎上した
戦後の復興をかけ
1951(昭26)年:財団法人日本自転車競技会東日本地区本部北日本競技部により
いわき市主催による平競輪が開催された
当時は常磐炭田の石炭産業を中心に
小名浜港の漁業、林業、農業といった第一次産業で発展し始めた時期
多くの観客で競輪場は賑わった
もともとは磐城平(いわきたいら)という地名であったが
町制を敷いた際に略して「平」と呼称された
<昭和45年度・いわき市主催・連勝単式勝者投票券>
寒冷地の東北地方の中でも浜通りに位置するいわき市は
冬季に降雪の影響が小さく、東北地方の中でも気温が高い
その為、競輪は通年で開催出来ている
1991(平3)年:平競輪場からいわき平競輪場へと名称変更される
その後、駅名も平駅(たいらえき)から”いわき駅”に改名される
当初は地理的に日没が早い為
冬季は最終競走の発走時間を早めに設定していたが
施設の改善により走路の照明設備を充実させ
現在は他場同様の発走時間を設定することが可能となった
福島県いわき市平谷川
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